一瞬で弾けて消える道徳的理念
2009/02/20 00:24:56
ああああああああああああああ!!!
モラル読み終わりました。
何と言ったらいいんだろう。
ニュースで事件が流れても、それは別世界の事だと認識する人があまりにも多くて(勿論私もだ)だから何をしても世界は変わらなくて、人々も変わらなくて、それが現状からありありと分かるからこそ絶望した。世の中皆そうだからと言ってのうのうと汚い事をし続けながら生きて、それが許されるし、それを咎めれば異端の者とされ損をする。なんだよそれ。なんなんだよ。
そんな世界に組み込まれている自分に寒気を覚えるし、誰もおかしいと糾弾しない。皆違う世界の出来事だ。私もしかり。
モラルの方法が正しかったかは分からない。スミスが正しかったかも分からないし、御坂は憲法は正しいかなんて誰も知らない。ただ、あれほどまでにしても世界は変わらないのだということ、ましてや人々はそれを一つの歓楽として捉えますます愚行を重ねるのであろうということ。それくらい分かるし想像もできる。
一人一人の心に干渉し更生させるなど土台無理な話で、仮に可能だとしても二百年後にはまた同じような事になっているのだろうし、だからこそ人は人であり、人は愚かだと言われるのだ。それはある意味人の本性であるから、更生のしようはない。私だって大方明日にはこれほどまでに強い思いを感じることもないのだろう。感情とは風化するもので、永遠などと言うものは人で有る限り存在し得ないものだ。そんなことは分かっている。だからこそやはり強力で半永久的―即ち憲法や法令などのことだが―な犯罪抑止力は必要なのではないかと思う。
ところで星新一の小説「ボッコちゃん」に、生活維持局というショートショートがある(皮肉にも現在パクられたと噂されているものだが)。あれはなかなかにいい話だ。そしてもしあの政策が実現したら、世界はどうなるだろう。きっと混乱に陥るのだろうが、やがて幾人かの聡い人が気付く。時間という存在の重要性が増したことに。否、増したというのはおかしい。重要性が漸く認識されたということか。無限であったように思えた死は、いつ自らの身に降り懸かってくるか分からなくなるのだ。
といっても、結局それも別世界のことになってしまうのだろう。それほどまでに確率は低くあるわけだから。
人間の腐った根性を叩き直す策を人間が作り出せるわけがない。考えてみれば当たり前のことだ。即ち今この世界には、モラルのように絶対的な存在が現れるか、いっそ諦めて流れに身を任せるかの二択しかない。私はそのどちらも最悪の結末を迎えるだろうと思う。だがどうしようもないのだ。
私は人間が嫌いだ。だが人間という種全体の上に確立する個人は好きな人もいる。かく言う私もその上に確立しているのだし、私が敬愛する人も人間だ。その人達が愚かであるかは分からない。だが人間だ。私は人間という種が嫌いだと主張はしているが、個人は好きである。結局はご都合主義なのだ。
人間以外に損害を与える事なく人間という種とそれが作り出した害(建築物などのことだが)を抹消できないだろうか。だがそんなことをしても、いつかは文明的な生き物が現れるのだろう。
世は無常だ。こんなことを考えても、所詮実現などありえない。まさに無常。なんとも救いがたいことである。
モラル読み終わりました。
何と言ったらいいんだろう。
ニュースで事件が流れても、それは別世界の事だと認識する人があまりにも多くて(勿論私もだ)だから何をしても世界は変わらなくて、人々も変わらなくて、それが現状からありありと分かるからこそ絶望した。世の中皆そうだからと言ってのうのうと汚い事をし続けながら生きて、それが許されるし、それを咎めれば異端の者とされ損をする。なんだよそれ。なんなんだよ。
そんな世界に組み込まれている自分に寒気を覚えるし、誰もおかしいと糾弾しない。皆違う世界の出来事だ。私もしかり。
モラルの方法が正しかったかは分からない。スミスが正しかったかも分からないし、御坂は憲法は正しいかなんて誰も知らない。ただ、あれほどまでにしても世界は変わらないのだということ、ましてや人々はそれを一つの歓楽として捉えますます愚行を重ねるのであろうということ。それくらい分かるし想像もできる。
一人一人の心に干渉し更生させるなど土台無理な話で、仮に可能だとしても二百年後にはまた同じような事になっているのだろうし、だからこそ人は人であり、人は愚かだと言われるのだ。それはある意味人の本性であるから、更生のしようはない。私だって大方明日にはこれほどまでに強い思いを感じることもないのだろう。感情とは風化するもので、永遠などと言うものは人で有る限り存在し得ないものだ。そんなことは分かっている。だからこそやはり強力で半永久的―即ち憲法や法令などのことだが―な犯罪抑止力は必要なのではないかと思う。
ところで星新一の小説「ボッコちゃん」に、生活維持局というショートショートがある(皮肉にも現在パクられたと噂されているものだが)。あれはなかなかにいい話だ。そしてもしあの政策が実現したら、世界はどうなるだろう。きっと混乱に陥るのだろうが、やがて幾人かの聡い人が気付く。時間という存在の重要性が増したことに。否、増したというのはおかしい。重要性が漸く認識されたということか。無限であったように思えた死は、いつ自らの身に降り懸かってくるか分からなくなるのだ。
といっても、結局それも別世界のことになってしまうのだろう。それほどまでに確率は低くあるわけだから。
人間の腐った根性を叩き直す策を人間が作り出せるわけがない。考えてみれば当たり前のことだ。即ち今この世界には、モラルのように絶対的な存在が現れるか、いっそ諦めて流れに身を任せるかの二択しかない。私はそのどちらも最悪の結末を迎えるだろうと思う。だがどうしようもないのだ。
私は人間が嫌いだ。だが人間という種全体の上に確立する個人は好きな人もいる。かく言う私もその上に確立しているのだし、私が敬愛する人も人間だ。その人達が愚かであるかは分からない。だが人間だ。私は人間という種が嫌いだと主張はしているが、個人は好きである。結局はご都合主義なのだ。
人間以外に損害を与える事なく人間という種とそれが作り出した害(建築物などのことだが)を抹消できないだろうか。だがそんなことをしても、いつかは文明的な生き物が現れるのだろう。
世は無常だ。こんなことを考えても、所詮実現などありえない。まさに無常。なんとも救いがたいことである。
PR
この記事へのトラックバック
この記事のトラックバックURL