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一瞬で弾けて消える道徳的理念

ああああああああああああああ!!!
モラル読み終わりました。


何と言ったらいいんだろう。
ニュースで事件が流れても、それは別世界の事だと認識する人があまりにも多くて(勿論私もだ)だから何をしても世界は変わらなくて、人々も変わらなくて、それが現状からありありと分かるからこそ絶望した。世の中皆そうだからと言ってのうのうと汚い事をし続けながら生きて、それが許されるし、それを咎めれば異端の者とされ損をする。なんだよそれ。なんなんだよ。
そんな世界に組み込まれている自分に寒気を覚えるし、誰もおかしいと糾弾しない。皆違う世界の出来事だ。私もしかり。
モラルの方法が正しかったかは分からない。スミスが正しかったかも分からないし、御坂は憲法は正しいかなんて誰も知らない。ただ、あれほどまでにしても世界は変わらないのだということ、ましてや人々はそれを一つの歓楽として捉えますます愚行を重ねるのであろうということ。それくらい分かるし想像もできる。
一人一人の心に干渉し更生させるなど土台無理な話で、仮に可能だとしても二百年後にはまた同じような事になっているのだろうし、だからこそ人は人であり、人は愚かだと言われるのだ。それはある意味人の本性であるから、更生のしようはない。私だって大方明日にはこれほどまでに強い思いを感じることもないのだろう。感情とは風化するもので、永遠などと言うものは人で有る限り存在し得ないものだ。そんなことは分かっている。だからこそやはり強力で半永久的―即ち憲法や法令などのことだが―な犯罪抑止力は必要なのではないかと思う。
ところで星新一の小説「ボッコちゃん」に、生活維持局というショートショートがある(皮肉にも現在パクられたと噂されているものだが)。あれはなかなかにいい話だ。そしてもしあの政策が実現したら、世界はどうなるだろう。きっと混乱に陥るのだろうが、やがて幾人かの聡い人が気付く。時間という存在の重要性が増したことに。否、増したというのはおかしい。重要性が漸く認識されたということか。無限であったように思えた死は、いつ自らの身に降り懸かってくるか分からなくなるのだ。
といっても、結局それも別世界のことになってしまうのだろう。それほどまでに確率は低くあるわけだから。
人間の腐った根性を叩き直す策を人間が作り出せるわけがない。考えてみれば当たり前のことだ。即ち今この世界には、モラルのように絶対的な存在が現れるか、いっそ諦めて流れに身を任せるかの二択しかない。私はそのどちらも最悪の結末を迎えるだろうと思う。だがどうしようもないのだ。

私は人間が嫌いだ。だが人間という種全体の上に確立する個人は好きな人もいる。かく言う私もその上に確立しているのだし、私が敬愛する人も人間だ。その人達が愚かであるかは分からない。だが人間だ。私は人間という種が嫌いだと主張はしているが、個人は好きである。結局はご都合主義なのだ。
人間以外に損害を与える事なく人間という種とそれが作り出した害(建築物などのことだが)を抹消できないだろうか。だがそんなことをしても、いつかは文明的な生き物が現れるのだろう。
世は無常だ。こんなことを考えても、所詮実現などありえない。まさに無常。なんとも救いがたいことである。

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すべての人を愛してすべての人に愛されて、彼女は生きていたのです。

ナウシカ感想。バレ含むのか?なんか所論をつらつら書いただけのような気もする。長い。



最後の方に蟲が関わってこられなかったのがとてもとても残念だった。大海嘯が起こったのだから無論仕方のないことだが、とにかく私は王蟲がひどく好きだったのだ。

映画は、本当に本当に序章だ。例えるならプロローグという感じ。あれでは何が伝えたかったのかもぼやかされたままだ。
クシャナは美しかった。ナウシカも美しかった。もっともっと深かったのに、この物語で美しくない人など、生き物などいないのに、それを映画で表しきれていないのが憤怒よりも哀感を起こさせる。あの映画でナウシカの物語を終わらせてしまう人が一体何人いることか。そちらの方が多いのかもしれない。
現実は非情であり、冷酷であり、無慈悲だ。その中で私達は生きていて、確かな喜びは必ず存在していて。それを糧にして生きていくことがどれほど素晴らしいか。
私達はナウシカの様にはきっとなれない。だが同じ道を進むことはできる。作中の言葉だが、この現代では同じ道を進むことすら困難だろう。だから私は、深い慈愛を忘れない様にするのだ。それは赦すことだ。それは全てを慈しむことだ。相手に苛つくことがあればそれは私を写す鏡に等しく、全ての人を写す鏡に等しい。それを咎めて怒る権利を誰が有するというのか。だが、赦すことは誰でもできる。全ての現象には動機があり、それを知らずに怒るのはひどく愚かなことだ。そして動機を知らず闇雲に赦すのはもっと愚かなことだ。何故赦すのか、それを明確に志すことができなければその慈愛も意味を成さない。なぜならそれは自らの感情を押さえているだけだから。
だから人は考える。その思考という生物に許された高貴なる権利を、なぜ私達は下らないことにしか使えないのだろう。答えが出ないからなのだろうか。正解がないからか?だがそれによって得られた理由はきっととても大きな意味を持っているだろうに。
全ての生き物を子だと思うのだ。ナウシカは母だった。彼女にしかできないことであったが、思うことはできる。命を深く愛でることはできる。
ナウシカの世界の様に命を遣いそれを教えてくれる蟲はいないのだ。現代の人々は、あまりにも利己的だ。全てを敵だと見ているかのようだ。私は、誰かに誇れるような愛し方を、この物語を通してナウシカに、宮崎駿という人に教わったと思う。是非皆に読んでもらいたい名作であったし、大人になってからまた読み直したい作品だと思った。感想終わり。





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↑せっかくなのでお礼増やしました

横浜市在住の学生。浮き沈みが激しいです。実は青春を謳歌していたりする。最近ジョジョにはまってます。

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